彫刻家の仕事内容の仕事内容とは?やりがいや魅力について解説
彫刻家はプロとして、仕事として成立しづらい職業です。コンクールなどに入賞し芸術性を評価されれば大口の制作依頼も舞い込みますが、彫刻だけで食える人はごくわずか。アシスタントからスキルを積み上げ、大成する人もいます。本記事では、彫刻家の具体的な仕事内容、仕事のやりがいなどについてご紹介します。
彫刻家とはどんな仕事?
彫刻を作り、芸術性を評価されることで大成する仕事
彫刻家の本業は彫刻制作であり、人によって様々な素材を用いて様々なサイズの彫刻を制作しています。
芸術作品としての彫刻を作り、その芸術性が高く評価されることで買い手がつき、世間からも評価され制作依頼も舞い込むようになります。しかしそうした大成を果たせる彫刻家はごくわずかです。
彫刻家のほとんどは彫刻に関する仕事や全く彫刻と関係ない仕事を兼業として行うことで生活の糧を得ながら、本業である彫刻制作を行っています。個人で大規模な作品を作ることはほぼ不可能なので、工房を構えるか、家族の協力を得ながらの制作を日々行うこととなります。
そうしてコツコツと制作した作品を、定期的に行われる彫刻コンクールに出品します。彫刻コンクールには賞金が設定されていて、入賞することで賞金を獲得すればそれが彫刻家としての収入となるのです。そして有名なコンクールに受賞すれば一気に知名度が上がり、大きな企業や自治体から制作依頼が舞い込みます。
このような大口の制作依頼をこなしていると、知名度も徐々に自然と上がっていきます。国際的なコンクールや国を跨いだプロジェクトでの制作依頼が入ってきたりもします。そうした大口の彫刻制作ができる頃には、自分の下に何人も弟子やアシスタントがいる体制が整っていることでしょう。
基本的に大規模な彫刻制作は工房単位で集団作業を行うことが多いです。人によって、彫刻制作に伴う単純作業、例えば金属の加工や切断、板金、木材のカット、型とりなどは全てアシスタントや弟子に任せるが、直接的な彫刻制作には自分以外の誰の手も入れたくない、という人もいます。
こうしたプロセスで彫刻家は有名になり大成していきます。しかしこの流れはあくまでも理想であって、このような理想的なプロセスを辿って著名な彫刻家になれる人は日本の中でもごくごく一握りのわずかな数のみです。
木彫刻家であれば、徒弟制度を経て独立するのが定石
木彫刻家、仏師など、伝統的に受け継がれてきた技能を用いて彫刻制作を行う場合は、いまも徒弟制度が色濃く残り、職人気質の体制が受け継がれています。基本的には師匠の工房に弟子入りし、住み込みの丁稚奉公というスタイルで修行を積んでいきます。
修行期間中の収入については、月数万円の手当、微々たる小遣い程度というところもあれば、安くはありますが時給制を採用し、低賃金のアルバイト程度の賃金を出す場合もあります。そうした弟子としての修行期間の平均は5年〜10年程度で、雑用や作業をこなしながら師匠の技を間近で見て技能を盗んでいきます。
修行期間を経て師匠から木彫刻の腕を認められれば晴れて独立が可能となります。または工房にそのまま残って専属の職人として師匠に雇われる身分を継続する人も少なからず存在します。
木彫刻家や仏師の場合、芸術性を極めるというよりは、伝統家屋に見合った工芸としての意味合いが強く、基本的にはクライアントの依頼や伝統技能としての木彫刻の地域ブランドに沿った制作が求められます。
その多くは地域ごとのギルド(職業組合や事業協同組合)に所属しての活動となり、地域単位で文化や技術を守り継承していく役割を担います。
彫刻家の具体的な仕事内容
大森暁生さんの場合:社会性を保ち、高い芸術に対する拘りも持つ
大森暁生さんは木彫りやブロンズ製の彫刻作品を数多く制作している著名な彫刻家です。大森さんは北千住に工房を構えており、工房のスタッフを多く雇って活動しています。
主な活動としては、国内外のアートフェアや、百貨店、画廊などに作品を展示・販売しています。そのほかにもアパレルブランドとのコラボレーション作品の制作や個人からの依頼作品の制作、企業からの依頼でのモニュメント制作など、活動は非常に多岐に渡ります。
一日のスケジュールは、定時を設けていて、朝9時始業というスタイルをとっています。工房のスタッフのシフトを昼と夜に分け、昼シフトのスタッフは9時出社となります。一日の予定は基本的には制作作業や打ち合わせ、事務作業が中心になります。
一時間の昼休憩と、30分程度の小休憩を挟み、昼シフトの工房スタッフは18時に退勤し、入れ替わりで夜シフトのスタッフが出社してきます。そこから休憩なしで諸作業を行い、23時半に終業となります。
大森暁生さんも例に漏れず、芸術大学の彫刻専攻で4年間彫刻を学び、基礎的な技術を身につけます。その後、籔内佐斗司氏の工房でアシスタントとして勤務し、その後独立を果たすというキャリアをたどっています。
大森暁生さんが大切にしているのは、売れるものと好きなもののバランスの取り方だと言います。今食べていくための売れる作品作りと、10年後、20年後も彫刻の仕事を続けていくための自分が真に価値を感じる作品作りの制作数を絶妙にコントロールすることで、商業的にも、芸術的にも成功できる体制を整えています。
また、取引先との関係性も重視する社会性をしっかりと持ち、スタッフの勤務時間もしっかりコントロールすることで彫刻で食べていくための理想的なバランスを今も保ち続けているのです。
北澤一京さんの場合:伝統の江戸木彫を今に伝える彫刻家
江戸木彫を専門に制作する北澤一京さんは、東京葛飾に工房を構えています。成田山新勝寺の獅子頭や富岡八幡宮が誇る日本一の神輿の制作を担当した偉大な彫刻家としてその名を知られています。
北澤一京さんはその名を広く知られる名工でありながら、弟子を取っていません。それには、かつての師匠から「親方は仕事を教えるんじゃない、食うための道を教えるんだ」と口酸っぱく言われてきたことが関係していると言います。
今の時代は伝統家屋も減少傾向にあり、仏壇も減っています。うまく食うためには時の運も大事で、今は時の運が向いていない、と考えてのことでしょう。
北澤一京さんは今も一人で制作に打ち込んでいます。仕事は道具が教えてくれる、という師匠の信条を受け継ぎ、300種類以上もの鑿(のみ)をうまく使い分けるには、自分で刃を研ぎ、ひたすら制作に打ち込むしかない、と主張しています。非常に職人気質の考え方を保ちつつ、木と向き合うことを今も楽しんでいるそうです。
彫刻家の仕事のやりがい
芸術性と向き合い、広く社会へメッセージを届ける仕事
彫刻家の仕事は現代的で先端的なものでもあり、伝統文化に根ざした地域単位の公的な資源として作られるものでもあります。しかし共通しているのはどちらにせよ彫刻は芸術であるということです。
特にデザインにおいて重視される考え方ですが、芸術とは、「見る人が見ればわかる」ものではなく誰にでも主張が読み取れるようなものでなければなりません。時に気難しい職人が「伝わる人にだけ伝わればいい」ということがありますが、こうした姿勢は今の時代にはそぐわない考え方です。
特に彫刻のような常に人々の生活圏におかれる造形物の場合、芸術を生み出す意味というのは社会に向けたメッセージを作品に込めることにこそあります。伝統彫刻の場合では、ある程度地域性に根ざした公益性を重視することも求められますが、その範囲で自らの芸術性を最大限に高めることが大切です。
彫刻という芸術を通して、自らの主張を世に広く伝えていくことこそが彫刻家の最大のやりがいといえるでしょう。
規模の大きなプロジェクトに取り組むこともやりがいに繋がる
彫刻家は個人で活動する人もいますが、基本的には自らの工房を率いて集団で作業を行います。工房を率いることで規模の大きな仕事も受けることが可能になるからです。
規模の大きな仕事には自治体がクライアントとなった地域単位の彫刻制作や、大手企業の記念モニュメントの制作は、地域や企業の歴史を背負い、予算規模の大きい制作となることが多いです。
規模の大きな仕事を多くこなすことによって公共に与える影響も大きくなって行きますし、場合によっては渋谷のモヤイ像や新宿のLOVEのように地域の象徴のような彫刻を作ることも可能でしょう。
その彫刻が置かれることで大きな社会的意義が生まれるような大規模なプロジェクトを引き受けることは、大きな責任感とともに掛け替えのないやりがいが生まれるはずです。失敗すれば多くの工房スタッフを路頭に迷わせることにもなりますので、工房を率いて仕事に取り組むことそのものがやりがいに繋がっているともいえます。
彫刻家の仕事内容まとめ
公益性を重視し、社会的意義の大きな仕事もできる、夢のある職業
彫刻家は、彫刻制作を通して社会にメッセージを届けることが大きなやりがいに繋がっています。また、地域にとって意味のある彫刻を生み出すことも可能です。
彫刻家として食べていくことは、今の時代とても難しくなっています。しかしだからこそ彫刻家で食べていくことができれば、相応の大きなやりがいを持って日々制作に打ち込むことが可能になります。
彫刻家の参考情報
平均年収 | - |
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必要資格 | 必要資格なし |
資格区分 | - |
職業職種 | 広告・デザイン・アート |
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