住職になるには?お寺を経営し地域を導く住職に求められる適性、向いている人の特徴などを解説
古来より生活に根ざし、伝統的な慣習などにも根深く関わる仏教。そうした仏教の教えを広く社会に伝える寺院の取りまとめ役が、住職と呼ばれる人たちです。住職になるにはどのような適性が求められるのでしょうか。この記事では、住職の性格的な適性や求められるスキルについてご紹介します。
住職と僧侶の違いとは?
必ずどこかで一度は関わりを持つことになる住職さん。他の宗教だからといって全く関わらないことはあまりないはずです。
そんな住職さんと関わりを持った際、「何か前で念仏を唱えているな」、「安産祈願のために祈祷してくれたりしているな」というくらいの感覚の方も多いのではないでしょうか。
皆さんは、住職と僧侶の違いをご存知でしょうか。
住職とは日本は古来より仏教が定着した国であり、各地にお寺があります。そして、このお寺を古くから守っているのが僧侶の方々です。住職とはこの僧侶の方々をまとめ、お寺の管理や維持、運営を行っていくお寺の代表者のことです。
次に僧侶とは純粋に出家して修行している修行僧のことで、念仏を唱え、葬儀や法事に関わる為に普段から厳しい修行に取組む人たちのことです。つまり、住職もこの僧侶にあたるわけです。この住職と僧侶の主な違いは、自身の継ぐお寺があるかどうかという点が異なります。
住職になるには何が必要?
お寺の経営に直接携わる、宗教法人の主としての資質が必要
日本にある一つ一つの寺院は、一般にその一社一社が一つの宗教法人として、独立して経営を行なっています。ですので、寺院の長である住職は、必然的に会社の社長のような立場になります。住職の仕事は、宗教法人の長として一城を率いる役割が大きいです。
お寺は一般的に非課税と言われ、坊主丸儲けなイメージがありますが、これは一般的に非営利の法人として定義されている宗教法人を維持管理していくための特別措置のようなものです。非課税といっても収入がなければ寺院を維持することができません。その収入が寺社の維持管理の経費としてしっかり管理されるように、帳簿などをしっかりつけることを求められます。
坊主丸儲け、とは言いますが、これは上記のような事情もあって、あくまでも宗教法人として入ってくる収入に関しては非課税というだけで、そこから支払われる給料、住職自身も含めてお寺で修行を行う僧侶に入る収入は、「個人の資産」として区別されます。
個人の資産ですので、当然そこには所得税、住民税など所定の税金がしっかりかかってきますので、注意が必要です。
葬儀、法事、法要などの儀式を取り仕切る能力が必要
お寺は、檀家との関係性を密にすることで、その経営を保っていると言っても過言では無いでしょう。
お寺で修行を行う僧侶は、俗世間を離れ、仏教の教えに従い出家し、精進料理と呼ばれる粗食を摂取しながら、お金のことを考えず、世を捨てて修行に明け暮れる、そんなイメージがあります。しかし実際のところは寺院とは一つの会社で、特定の宗派からの補助金などで生計を立てているわけではありません。
ですので、一般的な寺院では、住職や僧侶は世間と関わらないと生きていけません。世間に貢献し、檀家とのつながりを密に保ち、持ちつ持たれつで寺院の経営にはげむことで、初めて寺院は成立するのです。そう言った渉外対応の一切を取り仕切るのが、住職の代表的な仕事です。
お寺で働く住職の収入の源はお寺の収入から出る給料です。そのまま、住職の収入源はお寺そのものの収入源と言い換えることができます。主に葬儀の費用や法事の費用、法要の際の寄付金などがお寺の収入となり、葬送儀礼の執行はお寺の社会的役割の代表的なものとなっています。
長期の休みがまず取れない!常に寺院のことを考える責任感が必要
住職は、お寺の代表にして、寺院の主、最高責任者でもあります。比較的寺院の規模が小さい場合などは特にですが、多くの檀家を抱えていると、日々の対応だけでも非常に多忙なものとなります。
寺院にとって最大の繁忙期であるお盆には、古来より亡くなったご先祖様が家々に戻ってくると言われており、そうした特別な時期に、住職をはじめとする僧侶は檀家を一軒一軒回って、ご先祖様の仏壇や墓前でお経を読むなどして、お参りを行います。檀家の数によっては、その対応数は膨大なものとなります。
また、寺院では長期で休みを取ることは非常に難しいです。なぜならば、檀家さんからいつ不幸の知らせが届くかどうかが全く読めないからです。檀家の数が少なく、一戸一戸の家の事情を把握していて、年齢的にも人死には出る気配がなさそうでも、いつ急病や不慮の事故で檀家から訃報が出るかわかりません。
小規模な寺院では、現実問題として住職は1人であることがほとんどです。お寺の代表として来訪客の対応もしなければならないので、特に住職は、閉門をして受付時間をしっかり定めない限りにおいては、24時間365日、いつでも寺院に詰めて、来客があったら対応をしなくてはならないでしょう。
仮にやむを得ない事情により外出を余儀無くされても、電話を転送するなどして外出先でも常に連絡が取れる状態が望まれます。儀式行為ができるのはお坊さんだけなので、住職として別の寺院に葬儀を手配するなどと言った調整を行わないといけません。そういう意味では、幸い旅行に出られたとしても、常に気が休まらない仕事と言えます。
住職に向いている人、適性がある人
寺院の代表として、税制対策などもしっかり管理できる人
住職は、寺院という一つの宗教法人の経営を担う仕事です。お寺としての収入を管理し、寺で働く巫女や僧侶などに給料を支払わないといけませんし、それにかかる源泉徴収なども行わないといけない立場です。
宗教法人の収入は基本的に非課税ですが、非課税だからこそトラブルの元になります。ですから、収支が明確にわかるように、住職など寺の代表の委任の元で、定期的にしっかりとした収支台帳をつけないといけませんし、宗教法人としての財産と、個人の資産をしっかりと分けるなど、税制対策もしっかりしないといけません。
実際に、寺院には毎月のように税務署がやってくるそうです。小規模な寺院では特に家族経営レベルの小さな経営規模になりますので、それこそ経理的な管理も住職自らが行わないといけないこともザラにあります。個人の資産と寺のお金は明確に分け、しっかりと管理できていれば、税務署も文句を言うことはありませんし、自分でできないのであれば税理士など専門家に頼むことも一般的となっています。
坊主丸儲けと俗に言いますが、今の僧侶はこのような制度になっているので、少なくとも今の時代にはそうした言葉は実情とかけ離れた偏見と言えるでしょう。実態は極めてシステマティックな運営となっており、そこをしっかりと管理できる人が、住職に向いています。
寺院や境内の掃除を欠かさない、謙虚で真面目な人
田舎の小さなお寺などに行くと、境内で掃除を行うお坊さんや、ジャージ姿で帽子を被り、境内の草むしりなどをするお坊さんに出会えることも少なくありませんが、この掃除を行う人がその寺の住職だった、なんてこともまた少なくない現実です。
地域社会との繋がりを保ち、また新たな繋がりを生むために、お寺の入り口である山門や参道、境内の掃除に務めることは非常に重要な意味を持ちます。誰でも、朝早くから庭掃除などをしている人を見ると、しっかりしているな、という印象を受けることが多いのではないでしょうか。特に田舎であれば、パブリックイメージというのはそれだけで良くも悪くも独り歩きしてしまうほど重視されるものです。
お寺の住職が地域の檀家の手本となり、人々を教え導くような立場に位置するような自治体もあります。そうした場所では特に、住職は葬儀などの際に頼りになる存在として崇敬の対象となりながらも、日頃は質素で慎ましくあることが美德とされ、そうした日々の住職の姿を見ることでより一層お寺の住職の権威が高まりますし、新しく訪れた参拝客を含め誰にでも見られるような場所に住職が常にいることに対する信頼感は非常に大きく、さらなる檀家の増加につながる可能性もあります。
小規模の寺院では檀家の数が切り盛りを左右することになるため。日々のそうした努力を積み重ねるのも住職の大切な仕事です。ですので、謙虚さを持ち、日々コツコツと努力できる真面目な人が、住職に向いています。
お寺を経営し、地域に深く根ざす責任感がある人
お寺の住職は、古くは地域の中でも特別な存在として、畏敬を集めてきた存在でした。地域を取りまとめ、檀家も多く付いているような寺院では、そのまま地域を政治的な意味とはまた別の意味で仕切るような特別な立ち位置にありました。
たとえば、今ではほとんど廃れてしまったものの、昔は子供が生まれるとお寺に行き、産湯につからせて子供の名前も住職が決める、というような習慣もありました。これは古典落語「寿限無」のモチーフともなっていますが、江戸時代頃には一般的な慣習でした。滋賀県の大きな寺である三井寺は、天智天皇、持統天皇、天武天皇が誕生の際に産湯に浸かるために使用された霊泉があったので三井寺と呼ばれるようになったと言われています。
その他、お食い初めや七五三など子供が育つに従って行われるお祝い事に関しても、寺の住職が檀家に赴いて、あるいは檀家の家族が寺に赴いて行われてきました。地域社会全体に根ざす仕事として住職がある、そんな地域もまだ少なからず残っています。
住職は、地域の人々を教え導き、お祝い事から弔事まで様々な儀式の担い手となる事で、大きな社会的役割を得ることができる仕事です。お寺を率いて地域を導く、自分の使命を重く理解し、自身の立場を自覚し責任感を高く持てる人が、住職に向いています。
住職になるための学校等
僧侶になることそれ自体に資格は不要だが、深い教養が不可欠
住職になるためには、特別な資格は必要ありません。住職は僧侶の代表的な存在であるため、まず大前提として仏教徒として修行を始める必要があります。仏教に対する信心があり、「得度」という儀式を経て仏門に下れば、誰でも僧侶になることができます。
しかし、寺院の代表としての手腕を振るい、地域社会の担い手にもなりうる住職には、相応の深い教養と高い学力、少なくとも高い地頭力は非常に大切になってきます。ですので、多くの住職志望者は、全国各地にある、仏教学部が設置されている仏教系の大学に進学し、宗教学的な意味での仏教とその周辺知識について、深く学んでいる人が多いです。
仏教学部を設置している大学で有名なものとしては、駒澤大学、大正大学、立正大学、佛教大学、高野山大学、武蔵野大学などがあります。なお、これらの大学は全て私立大学ですが、京都大学、広島大学など、仏教学専修が設けられている国立大学もあります。
住職になるには?まとめ
これからの住職には伝統の継承だけでなく、新たな活動が求められる
近年、あまり寺に若い人が来なくなって久しいとよく言われます。特に過疎化の進む地方では深刻で、檀家も軒並み減り続けています。時代の変化の中で、仏教という宗教において教えに携わる立場として、あるいはお寺の経営者として、地域社会とどう向き合い、どのように関わって行くのかは、これからの時代、ますます大きく問われることとなります。
現代社会に普及するITなどの先端技術を駆使して、お寺をパワースポットとして全国に宣伝したり、僧侶が副業でBARを経営したり、YouTube動画を作ったり、色々な工夫を凝らす寺院が増えています。これからの住職には、昔とはまた別の意味での親しみやすさを新たに開拓できるような、子供心に溢れる人が求められています。
住職の参考情報
平均年収 | 600万円〜700万円 |
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必要資格 | 必要資格なし |
資格区分 | - |
職業職種 | 葬祭・宗教 |
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